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祝福のアイ・ラブ・ユー

・セシル
 捕虜になった敵国の姫。
 白銀の長い髪を持つ。
・エリック
 セシルの世話係で城の小間使い。
 幼い頃に病気で男性機能を失っている

※今作品はモノローグと台詞を、明確に分けておりません。

 演者様の解釈にお任せする構成です。

ーーーーーー

セシル:愛とは儚くも美しいものだとお母様は仰った
セシル:愛とは激しくも甘美なものだとお父様は仰った
セシル:愛しあうことは素晴らしく尊ぶべきことだと神父様は仰った
セシル:だから私は、愛がどんなものなのかを知りたいと思った



エリック:おい、食事だ
セシル:…欲しくないわ
エリック:わがまま言うな
セシル:わがままじゃない
エリック:どうせ粗末なものだから…
セシル:ここに閉じ込められてどこかに出歩くこともないのだから、お腹がすいていないの
エリック:…そうか
セシル:ねぇ
エリック:なんだ
セシル:私がこの国へ連れてこられて何日経ったかしら?
エリック:今日で三日目だ
セシル:ここは外からの光も入らないから、時間が分からないの
エリック:当たり前だろ、地下牢なんだから
セシル:これは朝食?それとも昼食?
エリック:昼食だ
セシル:時間が、とても長いわ
エリック:何もないからな
セシル:ねぇ、もっとお話しして
エリック:あのな。ボクは暇じゃないんだ
セシル:でも、ここへ食事を届けてくれるじゃない
エリック:暇つぶしで来てるとでも思ってるのか?
セシル:違うの?捕虜というのはつまり、奴隷でしょう?
エリック:詳しいことはボクみたいなのには分からない。…ボクは城に仕える小間使いだ、だから食事を運んでる。それだけだ
セシル:ここはお城なの?
エリック:別棟だけどな
セシル:ねぇ
エリック:今度は何だ
セシル:灯りが欲しい
エリック:はぁ?
セシル:入口の灯りはここまで届かないの。…あなたが来なかったらここは暗くて、静かすぎて…とても寒いわ
エリック:……
セシル:だめかしら?
エリック:聞いてみてやる
セシル:ありがとう、優しい小間使いさん
エリック:叶うわけじゃない
セシル:それでもいいの
エリック:……エリック
セシル:え?
エリック:名前。エリックだ
セシル:エリック…名前を教えてくれてありがとう。私はツェツィーリエ
エリック:つぇ…?なんだって?
セシル:(小さく笑う)セシルでいいわ
エリック:セシル、ね。覚えておいてやる
セシル:もう行ってしまうの?
エリック:お前と違ってボクは忙しいんだよ。じゃあな
セシル:またね、エリック



エリック:この国は周辺諸国とよく小競り合いをしている。が、国内は、いや城下の街は賑やかで交流は盛んだ。
エリック:この国の王様は「恐犬」と呼ばれるほどに強く、その王が率いる軍が戦事には長けている、らしい。好色で冷徹、という話は街でも噂で何度も耳にした。
エリック:街が賑わっていて豊かなのは、政(まつりごと)に関しても、国を率いる王として優秀、なんだそうだ。そう教えられたからきっとそうなのだろう。
エリック:雑用係であるボクにはよく分からない。ボクは、与えられた仕事をこなすのが役割で、国に生かされているだけなのだから。



セシル:どなた?
エリック:ボクだ
セシル:エリック
エリック:食事を持ってきた
セシル:ありがとう。いつもエリックが運んでくれるのね
エリック:…ここにはボクしか、入ることを許されていない。執事長様の言いつけなんだ。…ほら、受け取れよ
セシル:この固いものは何?クッキーにしては甘くないわ
エリック:パンだ
セシル:この国のパンはとても硬いのね
エリック:…僕たちが食べるパンよりずっと柔らかい
セシル:ねぇ
エリック:なんだ
セシル:どうしてあなたしか入れないの?
エリック:…そういう決まりだから
セシル:誰がそんな決まりを作ったの?
エリック:知らない
セシル:でも、あなただと決められているなら理由があるのよね?どうして?
エリック:うるさいな、さっさと食べろよ
セシル:だって、誰ともお話できないんだもの。エリック以外と喋らないんだもの
エリック:黙ってればいい
セシル:つまらないわ
エリック:…お前、自分の立場が分かってるのか?
セシル:戦に負けた国王の一人娘。捕虜として連れてこられて…他の国との交渉材料に使われるか、見せしめとして殺されるか。どうなるのかしら
エリック:…変な奴
セシル:あら、失礼ね
エリック:変だよ、変わってる
セシル:そんなことは無いと思うのだけれど
エリック:…この国は色んなところと戦争しては勝って、それで大きくなった国だって聞いた。だから、よくこの牢にぶち込まれる奴が多いんだ
セシル:まぁ
エリック:震えたり大声で叫んだり…お前みたいなやつ、初めてだ
セシル:セシル
エリック:は?
セシル:お前、じゃなくてセシルよ
エリック:…変なやつ。じゃあな
セシル:もう行っちゃうの、エリック?
エリック:言ったろ?ボクは暇じゃないんだって
セシル:また来てくれるの、待ってるわね
セシル:……行っちゃった。とても、寒いわ…私はここで、誰との愛も分からないまま…死んでしまうのかしら…
セシル:お父様、お母様…私は…



セシル:きれいはきたない、きたないはきれい…
エリック:何を言ってるんだ?
セシル:エリック!
エリック:食事を持ってきた。さっきのはなんだ
セシル:ずっと昔の詩人、だったかしら?先生に教わっていたのが途中だったなって思い返していたの
エリック:ふぅん
セシル:私、あなたが来てくれるのがとても楽しみよ
エリック:暇だからだろ
セシル:そんな意地悪を言わないでちょうだい。あなたとお話するのが、楽しいの
エリック:……
セシル:今日のお天気は?お日様は出てる?
エリック:あぁ
セシル:風は?
エリック:…強くない。今日は穏やかな天気だ
セシル:ねぇ、エリック
エリック:…なに?
セシル:エリックはお花は好き?
エリック:興味無い
セシル:じゃあ動物は?
エリック:仕事の邪魔になるから好きじゃない
セシル:好きな食べ物は?
エリック:…ラジャニーケリャ
セシル:なぁに、それ?
エリック:この国の伝統料理なんだけど…新年の時とか、大きなお祝いの時にしか食べられない
セシル:どんな味?何が入ってるの?
エリック:鹿肉と野菜が沢山入ってて、大きなオーブンで焼くんだ。…その時は柔らかいパンも出てきて一緒に食べる。味は…美味しい
セシル:ほかは?もっとエリックのことを教えて
エリック:ボクのことを知ってどうするんだ
セシル:知りたいの。ダメかしら?
エリック:ダメじゃないけど…なんにもならない
セシル:お友達のことを知りたいと思うのは、当たり前だと思うのだけれど
エリック:…お友達?
セシル:ええ
エリック:誰が?
セシル:エリックが
エリック:…誰の?
セシル:もちろん私の!
エリック:(長いため息)付き合ってられない。仕事に戻る
セシル:ここへ来るのも仕事なのでしょう?
エリック:それは、そうだけど…
セシル:私が我儘を言って騒いだ、と言っておけば良いじゃない
エリック:それは…だめだ
セシル:どうして?
エリック:執事長様に嘘はつけない
セシル:…エリックはとても誠実な人ね
エリック:は?
セシル:正直で、真っ直ぐで
エリック:…ボクはもう行く
セシル:困らせてごめんなさいね
エリック:…ふん



セシル:(鼻歌を歌っている)
エリック:ご機嫌だな
セシル:エリック!そろそろ来てくれるんじゃないかと思ってた!
エリック:あのな、ボクは
セシル:遊びに来てるんじゃない、って言いたいのでしょう?
エリック:……
セシル:うふふっ
エリック:食事だ。あと…執事長様からお許しを頂いた
セシル:まぁ、ランプ!嬉しい!
エリック:灯り程度なら、と
セシル:早速つけて!
エリック:わかった分かった。…ほら、これで中もあかるく…
セシル:エリック?
エリック:…っ、なんでもない
セシル:なあに?
エリック:…はっきりセシルの姿を見たのは初めてだったから、少しびっくりしただけだ
セシル:…ふふっ
エリック:なんだよ
セシル:セシルって呼んでくれたから嬉しくて。ずっとお前って呼ばれるんだと思ってたから
エリック:…そんなに嬉しいものなのか?
セシル:嬉しいわ
エリック:そっか…
セシル:エリックは名前を呼ばれて嬉しくないの?自分の名前、嫌い?
エリック:別に嫌いじゃ無いけど…
セシル:誰が名前をつけたの?
エリック:そんなの知らない
セシル:お父様やお母様とは仲が良い?
エリック:悪くは無いと思う。…歳が離れた妹がいるから、ボクが沢山働いて良いところに嫁がせてやりたい
セシル:妹さんのために頑張ってるのね
エリック:ボクが両親の為に出来ることなんてそのくらいだから
セシル:どうして?
エリック:…余計なこと言った。なんでもない
セシル:教えて、エリック
エリック:なんでもないって
セシル:エリック
エリック:……ボクは子供の頃に熱病にかかって、子供が作れない身体になったんだ。両親に孫を見せることが出来ないから
セシル:子供が作れない?
エリック:へっ、お姫様にはまだ早い話だったかもな。…ボクは男性機能を失ってる。だから、ここへの出入りも許されてる。何かあっても力でねじ伏せることはできるし、間違いもない
セシル:まちがい…?ごめんなさい。良く、分からないわ
エリック:いいよ、分からなくて。…もう行くよ
セシル:エリック!待って!
エリック:……
セシル:話してくれた事、良く分からなかったけど…私はエリックと愛し合うことは出来るわ
エリック:…馬鹿なことを言う
セシル:本当よ
エリック:じゃあな
セシル:エリック!
セシル:……エリック…私はあなたと、愛し合いたいわ…



エリック:…食事だ
セシル:エリック、この間は気分を悪くさせてしまったみたいでごめんなさい
エリック:いいよ、気にしてない
セシル:本当に?
エリック:あぁ
セシル:よかった
エリック:……
セシル:なぁに?私の顔になにかついてる?
エリック:セシルは…セシルの髪は、綺麗だな
セシル:ありがとう。でも急にどうして?
エリック:…悪いか
セシル:そんなことないわ、とても嬉しい。お父様もよく褒めてくださったの
エリック:両親は好きだった?
セシル:ええ、お父様もお母様も大好きよ!お母様は何度か変わったけれど、どのお母様も優しくてお美しい方ばかりだったから大好き
エリック:(小声で)国王となればそういうものなのか…
セシル:なあに?よく聞こえなかったわ
エリック:いや、なんでもない。いいご両親だったんだな
セシル:えぇ。…もう会えないのは寂しいけれど…戦いに負けてしまったのだもの、仕方ないわね
エリック:この国の王様が、憎い?
セシル:いいえ、ちっとも
エリック:そう、なんだ
セシル:変なエリック(楽しそうに笑っている)
エリック:ボクは変じゃない、セシルが変わってるんだ
セシル:そんなことないわ。…ねぇ、今日で何日目?
エリック:今日で…六日目だよ
セシル:まだ六日なの?もっと長い時間を過ごしてる気分だわ
エリック:…外へ出たい?
セシル:地下牢の方が良いって言うと思う?
エリック:それもそうか
セシル:燃えてしまったけれど、お気に入りの薔薇園があったの。毎日お散歩してたわ
エリック:へぇ
セシル:薔薇園の先にね、礼拝堂があって祈りを捧げて…
エリック:……
セシル:エリック?
エリック:え?
セシル:どうしたの、エリック
エリック:いや、なんでもない…。今日は忙しいんだ。じゃあな
セシル:まって、エリック。エリック!!



セシル:そこから数回、彼は顔を見せてくれなかった。
セシル:代わりに冷たい態度の、嫌な目付きをした女性が食事を運んで来たけれど、私の問いかけには何一つ答えてくれなかった。黙って空になった食器を下げて、大きな音を立てて乱暴に扉を閉めてしまうようなそんな人だった。体つきも痩せぎすで枯れ木みたい。
セシル:お母様のような包容力なんて、全く感じない。私の侍女はもっと健康的なハリのある肌をしていたのに、ここのお城はそんなに厳しいお仕事を与えられているのかしら。…あんな様子ではきっと、誰かに愛されるなんてことは無いのでしょうね、可哀想。
セシル:私はなにか酷いことを言ってしまったのかしら。それで怒って来てくれなくなったのかしら。
セシル:ねぇ、エリック。ここはとても寒い。ランプで照らしているはずなのに、どうしてこんなに暗いの?
セシル:貴方と交わす言葉がどれだけ温かいものだったのか、その時間がどれだけ救いになっていたのか、私よくわかったわ。
セシル:またここへ来て。
セシル:エリックに、会いたい



エリック:セシル、食事…
セシル:っ!エリック…エリック!
エリック:なに、どうしたんだ…?
セシル:あぁ、エリック!嬉しい!
エリック:落ち着いてセシル
セシル:貴方がもう、ここへ食事を運ばなくなってしまったのかと思ってずっと不安だったの。私、なにかあなたが不愉快になることをしてしまったのかと思って、それで貴方が来てくれなくなったんじゃないかって
エリック:何を馬鹿なことを…来る来ないは執事長様が決めることだから、そんな理由で
セシル:じゃあどうして来てくれなかったの?!
エリック:…母さんが体調を崩したって連絡があったから、特別にお休みを頂いて家に戻ってたんだ
セシル:家…?いつも家に帰るんじゃないの?
エリック:まさか。城に務める従者の部屋があるから、滅多に家には帰れない
セシル:そうなの?…でも、良かった。またエリックが来てくれた…
エリック:それは来るよ、仕事だし
セシル:ねぇ、エリック。私はここへ入れられてからあなたとお話するのが、唯一の楽しみなの。エリックが居なかったら、きっと寂しくて死んでしまうわ
エリック:大袈裟な…
セシル:大袈裟なんかじゃない!エリック…あなたにずっと傍に居て欲しい
エリック:…何を、無茶苦茶言ってるんだ
セシル:無茶苦茶じゃないわ
エリック:無茶苦茶だよ。だってボクも君も、王様の持ち物なんだから。王様に生かされてる
セシル:…持ち物
エリック:不敬だと思われたら、首をはねられるだろうし、それはセシル、君も同じだ
セシル:……
エリック:ボク達がそれをどれだけ願っても、それは無理なんだ
セシル:ボク達…?
エリック:っ
セシル:エリックも、そう思ってくれてるの…?
エリック:……
セシル:嬉しい
エリック:…今はこの鉄格子が、あって良かったし、恨めしいよ
セシル:でも、手を繋ぐことは、出来る
エリック:…君の手は、こんな場所にいても綺麗なんだな
セシル:エリックの手は…沢山傷がある。私の城にも居たわ、沢山働く勤勉な従者はみんなこんな手をしてた
エリック:セシル
セシル:なぁに?
エリック:ボクは下賎な身分だ、君に触れることは本当なら…許されない立場なんだよ
セシル:そんなことない
エリック:でも…君の手に、口づけることを許して貰える?
セシル:…もちろん
エリック:こんな場所なのに、君は聖母様みたいだ(手の甲に口付ける)
セシル:聖母を独り占めしたい王様がいるのね。エリックが独り占めしてくれたら良かったのに
エリック:ボクは……ごめん
セシル:エリック、貴方は愛がどんなものか知ってる?
エリック:…知らないし、ボクは誰かを愛することは出来ない。セシル、君のことも
セシル:私は愛することが出来る
エリック:…ボクは出来ない
セシル:温もりを感じるの、相手の、温もりを感じる。愛とは情熱的で、痛みも伴うけれど素晴らしいものだって、お父様は教えてくださった
エリック:(鉄格子から離れる)
セシル:待って…待ってエリック!行かないで!
エリック:セシル、ごめん
セシル:エリック、エリック!!
セシル:…貴方が私を愛せなくても、構わないのに…だって私が貴方を愛すればいいのだから。どうして行ってしまったの、エリック。
セシル:そう、そうね…だって愛とは人を飲み込んでしまうものだともお父様は仰ってた。だからきっと怖いのよね、エリック。
セシル:エリック…あぁ、エリック。私は、貴方と愛のぬくもりを確かめあいたいわ



エリック:執事長様から伝えられた言葉に、僕は手に持っていた食器を落としてしまった。大きな音を立てて金属製のそれが床で跳ねる。

エリック:しょけい…?セシルが…?

エリック:ボクは執事長様の静止の声を振り切り、彼女が捕らえられている塔へ走った。地下へ伸びる階段を転がりながら降り…開け放たれた鉄格子の前に崩れ落ちた。
エリック:既に処刑場へ連れていかれているのだ。ボクは立ち上がり駆け上がった。いかなくれは、処刑場へ行かなくては。彼女をひとりで死なせる訳には行かない。

エリック:広場に用意された処刑台は、既に多くの人に囲まれていた。放たれる罵声が耳障りで、投げられる石を拾って、全て投げ返してやりたい。
エリック:セシル!
エリック:積み上げられた木の上に、縛られた彼女が見える。俯いて顔は見えない。が、長い白銀の髪が太陽の光を反射している。
エリック:火が放たれ、観衆から悲鳴と歓喜の声が上がる。やめろ、うるさい、うるさい!
エリック:駄目だ、彼女を燃やさないでくれ!
エリック:ごう、と一気に火が大きくなる。油が撒かれたのだ。嫌な匂いがし始める。何度も嗅いだことのある、人が燃える匂い。

セシル:エリック
エリック:セシルの声がする。
セシル:私はエリックと愛し合うことは出来るわ

エリック:炎に飲まれる彼女と目が合った。もう全てを諦めている暗い瞳。ボクは数歩後ずさりすると、向きを変えて走り出した。

セシル:聖母を独り占めしたい王様がいるのね

エリック:それは、この国の王様だ。
エリック:ねじ伏せ壊した国の姫を、今度は自らの手で冒涜したいんだ。
エリック:王様の居室がある棟に入ることは許されていない。見つかればただじゃ済まない。人目を避けて、隠れながら進む。
エリック:心臓がバクバク鳴ってる。足音を立てず、でも急いで。遠くでまだ広場の声が聞こえてる。
エリック:やけに静かな廊下を進む。執事長様と一緒に、一度だけ入ったことのある王様の居室を目指して息を潜めて進んでいく。
エリック:そこに彼女がいる。確信があった。

エリック:汚さないで欲しい、ボクのセシルを。
エリック:彼女がボクのものだとは言わない、ただ、彼女には綺麗なままでずっと微笑んでもらいたい。
エリック:彼女と愛し合うことが叶わないボクの、ただひとつの願い。

エリック:王様が人払いをしたのかは分からない。が、大きな窓から差し込む光に照らされた廊下には不自然な程に人の姿がない。
エリック:もう、広場の声は聞こえない。
エリック:きっとボクは王様に処刑される。こんな所まで身分の低い小間使いが、無断で侵入したのだから。
エリック:…それでもいい。
エリック:彼女が、汚されることなく笑ってくれたら。
エリック:そうだ。処刑される前にお願いしてみよう、無駄かもしれないけど。どうか、セシルを自由にしてあげてほしい、と。

エリック:扉に手をかける。重い扉がゆっくりと開く。

エリック:細かい模様の絨毯、鉄仮面の鎧、豪華な調度品。そして奥には天蓋付きの大きなベッド。
エリック:記憶の中の天蓋はうっとりとするような白だった。それが今は、赤くまだら模様に染まっている。

エリック:鉄の匂い。いや。
エリック:部屋中に満ちる、まだ湿度のある、強い強い血の匂い。
エリック:心臓の音がうるさい。心臓の音しか聞こえない。
エリック:膝が震えている。口元が震えている。手が震えている。体が、震えている。
エリック:赤に染まる天蓋の中に、長い白銀の美しい髪が見える。



エリック:セシル
エリック:そう声を掛けたいのに、喉がカラカラにかわいて張り付いたみたいだ。呼吸ができているのかも分からない。
エリック:血の匂いで、鼻と脳が麻痺してる。

エリック:…長い。とても長い時間のように感じた。一瞬だったのかもしれないけれど、ボクにはとてつもない長い時間に感じた。
エリック:目の前の真っ赤な光景に飲まれて動けないボクに…

セシル:エリック

エリック:白かったであろうドレスにも、光を放っていた白銀の髪にも、陶器のように透き通った肌にも、赤い飛沫が散っている。
エリック:なのに、なのに
エリック:どうしてセシルは、こんなにも楽しそうに微笑んでいるんだろう

エリック:…セ、シル…?
セシル:どうしたの、エリック
エリック:セシル…
セシル:なあに?
エリック:セシル…!!
セシル:さっきからどうしたの、エリック
エリック:そ、れは…これは一体、どういうことなんだ…?
セシル:なにが?
エリック:だ、って…それは、お、うさま、じゃないか…
セシル:ええ、そうよ
エリック:(短く息を飲む)
セシル:王様とね、愛を確かめていたの

長い間

エリック:なにをいってるんだ…
セシル:ふふ、ふふふっ
エリック:何を言ってるんだよ、セシル!
セシル:どうしたの、エリック。そんなに大きな声を出して。それに怖い顔してる
エリック:ど、うした、って…どうしたって…!
セシル:愛なの
エリック:(言葉にならない絶望)
セシル:これは、愛なのよ



セシル:愛とは儚くも美しいものだとお母様は仰った
セシル:愛とは激しくも甘美なものだとお父様は仰った
セシル:愛しあうことは素晴らしく尊ぶべきことだと神父様は仰った
セシル:お父様に愛されている間のお母様は、とても幸せそうだったわ。これが愛し合う行為なんだって、私感動したの!だから、王様と愛し合っていたの。…なのに不思議ね、王様は動かなくなってしまったわ
エリック:セシル…
セシル:人は温かく、その温もりを感じる…それが愛なんだって教えて貰ったのに
エリック:セシル…
セシル:でも不思議ね、王様はどんどん冷たくなってしまって
エリック:セシル!
セシル:なあに、エリック?

エリック:あぁ、なんて美しく笑うんだろう。部屋の中は血まみれで、むせかえるような鉄の匂いが充ち満ちているのに、彼女の微笑みだけは舞い降りた天使のように綺麗で神々しく。
エリック:ボクは、無意識に膝をついていた

セシル:エリック
エリック:セシル…セシ……ツェツィーリエ…
セシル:ねぇ、エリック。あなたは以前、私と愛し合うことは出来ないんだって言ったでしょう?
エリック:あぁ…
セシル:私はそれが不思議だったの。だって、私はあなたを愛してあげることが出来るんだからって
エリック:あぁ…そうだね…
セシル:お父様が教えてくださったんだもの
エリック:あぁ…セシル、一つ聞いていいかい?
セシル:なぁに?
エリック:…君のお母様は、そうやって愛されたんだね?
セシル:ええそうよ!私のお母様になる人は、みんなとても美しい方だったの
エリック:…あぁ(言葉にならない息を吐き出した音)
セシル:ホワイトブロンドの、柔らかい髪色の方だったの。みんなみんなお父様に愛されて幸せそうだったわ。だから
エリック:セ、シル…
セシル:お前もいつか人を愛する時が来るから、と聞いていたから、私とても楽しみだったのよ
エリック:…ふ、っ…
セシル:だから、エリック
エリック:(短く浅い呼吸)
セシル:あいしあいましょう、わたしと
エリック:…あぁ、ツェツィーリエ
セシル:わたしは、あなたを…愛したいの
エリック:(静かに涙を流す)
セシル:エリック
エリック:……ここじゃ、ダメだ
セシル:え?
エリック:だって、ここは…王様の居室だ。本来なら、ボクが居て良い場所じゃ…ない
セシル:(周囲をキョロキョロと見る)そうなの?
エリック:あぁ、だって…ボクは下賤な身分だから…
セシル:それはよく分からないけど
エリック:だから、ここじゃなくて…ボクだけの秘密の場所に連れて行ってあげるよ
セシル:秘密の場所?
エリック:うん、ボクしか知らない…すごく、景色が綺麗で…誰も来ない、壊れた教会なんだけど…
セシル:素敵…!
エリック:セシルにだけ、教えてあげる
セシル:嬉しい、エリック!
エリック:きっと、気に入ってくれると思う。そこへ、連れて行ってあげるよ
セシル:いつ?いつ行くの?!
エリック:望むのなら、今すぐにでも。どうする?
セシル:行きたい!行きたいわ!
エリック:わかった…じゃあ、行こう…すぐに
セシル:うん!
エリック:…おいで、セシル…

長い間

セシル:愛してるわ、エリック。あなたは純粋で誰よりも清らかだわ
セシル:だから今、こうして私たちが愛し合うことは間違っていない
セシル:神父様が読んでくださる聖書にも、隣人を愛せよという言葉があるように、私はあなたを愛してる
セシル:…ふふ、あははっ…!
セシル:こうしてお父様はお母様を愛してらした。お母様は幸せそうな顔で微笑んでらした。
セシル:エリック、あなたも…微笑んでくれるのね。嬉しい…



セシル:エリック?ねえ、どうしたの。黙ってしまって…眠ってしまったのかしら?
セシル:私も少し、今日は疲れたわ。もう日も暮れてしまったし…
セシル:ここで見守られながら眠りましょう。
セシル:だって、神様は愛し合うもの同士を祝福してくれるんだから
セシル:ねぇ、そうでしょう。エリック…

エリック:祝福の、アイラブユー


 

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